若葉01(トキヤ)*

「はぁ、はぁ……はぁ」

トキヤは、その白い頬をリンゴのように染めて、階段を駆け上っていました。艶やかな黒髪が、窓からの光を受けて輝きます。
魔法塔には沢山の階段がありました。
その名の通り大きな塔の形をしたその施設は、何十という数の階段でフロアごとが区切られていました。廊下よりも階段の方が多い有様です。
一流の魔法士となれば、走り回らずとも移動は可能ですが、まだまだ見習いの彼は走って移動するしまありません。
階段を急いで駆ける彼に、通りかかった友人が声をかけます。輝くような金の髪を短く切り込んだ少年です。

「おーいトキヤ、どこ行くんだ、一緒に昼飯行かないか?」
「あ、カミーユ!ごめんね、僕急がないと、サカキ先生に呼ばれてるんだ」
「ああ、サカキ先生か、わかった。呼び止めて悪かったな」
「ううん!また誘って!」

そう言って手を振り、トキヤはまた走り出しました。目指すのは塔の上部にあるサカキの研究室です。
トキヤにとって憧れであり、尊敬する師匠であるサカキは、トキヤがこの塔に来てからずっと彼の面倒を見てくれています。
トキヤより十歳ほど年上のサカキは、いつも落ち着いていて冷静沈着。誰に対しても優しく丁寧で、そしてとても強い魔法士なのでした。
そんなサカキは、塔の上部に立派な研究室を与えられており、優秀な弟子達に囲まれて毎日を過ごしているのです。
トキヤも、いつかその優秀な生徒に選ばれたいと願いながら、日々魔法の修行に明け暮れていました。

「はー!着いた!」

やっとサカキの研究室の前に立ったトキヤは、息を整えると目の前の重厚なドアをノックしました。

「サカキ先生、トキヤです」
「待っていましたよ、入りなさい」
「はい!」

扉を開けると、そこには本棚に囲まれた机に向かっているサカキの姿がありました。
部屋の奥に置かれたソファーでは、弟子の一人が寝息を立てています。

「失礼します……」
「さぁ、こちらへ」
「はい……あの、その子は」
「眠ってしまったようですね、疲れていたのでしょう」

サカキは穏やかな笑みを浮かべると、部屋の奥へと歩いていきました。
ソファー脇まで近づき、眠っている弟子の頭を撫でます。すると、その小さな口から気持ち良さげな吐息が漏れました。
それをじっと見ていたトキヤは、なぜか見てはいけないものを見てしまった気がして、顔を赤くしました。ですが、どうしてもそこから目が離せません。それどころか、無意識にこうつぶやきました。

「羨ましいな……」
「? どうしました?」
「あ!いえ…なんでもありません」

不思議そうな表情をしたサカキに尋ねられ、トキヤは慌てて首を横に振りました。

「それで、今日は何をするんですか?」
「えぇ、あなたには魔力測定をしてもらおうと思いましてね」
「はい!よろしくお願いします!」
「やる気があって大変いいですね」

元気よく返事をするトキヤを見て、サカキは微笑みました。
そしてトキヤの手を取り、その手のひらを上に向けさせます。そのまま指を一本近づけて、触れた瞬間でした。
バチンッと凄まじい音が響き渡り、サカキの人差し指は弾き返されてしまいました。
これには流石にサカキも驚いたようで、しばし唖然としています。
一方のトキヤは、真っ赤に腫れた自分の手にも気付かずに、サカキの指を握ります。

「すみません!お怪我はありませんか!?」

目元に涙を浮かべて、サカキの手をすがるように握るトキヤ。

「また測定に失敗しちゃって……ぼ、僕、やっぱり出来損ないなんでしょうか」

そう、トキヤの魔力測定は初めてではありませんでした。なぜなら魔法塔に来た生徒は全て例外なく教師の魔力測定を受けるのです。
しかしトキヤは、幾度となく先生方の測定を受けては失敗し続けていました。そして今回もまた、サカキの測定を失敗してしまったのです。
サカキは、そんなトキヤの手を優しく包み込みました。その目元は優しく細められ、愛情の滲む瞳をトキヤに向けています。

「大丈夫、心配はいりませんよ、未成年の測定の失敗はよくあることです」

そのサカキの言葉と同時に、トキヤは自分の手がじんわりと熱くなるのを感じました。その熱は、少し硬いサカキの手の感触とともに、数秒トキヤの手を包み離れていきました。その後には、怪我が綺麗さっぱり消えたトキヤの手が残されます。

「あっ、怪我が…」
「これでもう痛くはないでしょう?」

トキヤは手を開いたり閉じたりと動かしてみましたが、全く痛みはありません。
その様子を見たサカキは満足げに笑うと、今度はトキヤの頬に手を当てます。
先程と同じように、トキヤの体が温かさに包まれます。しかしそれはすぐに消え、魔力の暴走により疲労を感じていたトキヤの体もすっかり元通りになっていました。
トキヤはその温もりに、心の中まで治療してもらった心地でした。
サカキはいつも、こうしてトキヤを助けてくれるのです。

「ありがとう、ございます」

トキヤは、自分がどんなに努力しても超えられない壁を前にしながら、尊敬と敬愛の念を込めてサカキを見つめました。

「いいえ、こちらこそ。また明日、同じ時間に来なさい。再度魔力測定をしましょう」
「はい!」

サカキがそう言うと、部屋の扉が開き、弟子の一人がお茶を持って入ってきました。

「先生、紅茶が入りました」

トキヤより少し年上らしい弟子の少年は、サカキとトキヤにカップを差し出すと、小さく頭を下げました。
サカキはそれを受け取ると、トキヤに向かって紹介します。この子はユウの双子の弟です、と。
そこでトキヤは気づきました、彼の顔は先ほどソファーで寝ていた弟子と瓜二つの顔をしていたのです。
(それじゃ、さっき寝てたのがユウさん…)
トキヤは胸の高鳴りを抑えることができませんでした。
双子、ということは二人とも性別が同じということになります。つまりサカキは男の子のユウのことをそういう意味で愛していて、だからあんなにも大切にして、可愛がっているのではないか。
トキヤは、そんなことを想像しました。そして、尊敬する師に対して、そんな爛れた想像をしてしまった自分に自己嫌悪を覚えました。

「あの、どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません」
「……もしかして、私のことでも考えてくれているのかな」
「えっ」
「冗談ですよ」

サカキはくすっと笑いながら、トキヤの頭を撫でました。そのいつもよりも稚気のある笑顔に、トキヤは思わず見惚れてしまいました。

(サカキ先生……)

トキヤはなぜか胸の鼓動がトクトクと早まってゆくのを感じました。頬が熱くなり、なんだか泣きたいような気持ちです。

「では私は失礼するよ。ゆっくり飲んでから退室しなさい」

サカキはそう言い残すと、部屋から出ていきました。
残されたトキヤは、しばらくぼうっとした様子で椅子に座っていましたが、やがて我に返ると慌てて立ち上がり、サカキを追いかけました。

「先生、待ってください!」

サカキは、廊下に出てすぐのところでトキヤを待っていてくれたようです。
トキヤの顔を見ると、嬉しそうな表情を浮かべました。どうして彼がそんな表情をするのか、トキヤには分かりませんでしたが厭わられていないことを感じてホッとします。
しかしトキヤには、どうしても聞きたいことがありました。
ユウのことです。
サカキは、ユウのことが好きなのでしょうか?もしそうだとしたら、自分はどうすれば良いのでしょう。
トキヤは、ずっとそれを気にしていました。

「ユウさんのこと、なんですけど……」
「ユウがどうかしましたか?」
「その、お二人はどういう関係なんですか?」
「ああ、ユウとは…どう言えばいいだろうね、年の離れた兄弟か、それとも少し縁遠い親子か、そんな関係かな」
「あ……そう、なんですか」

トキヤは心の中で、ホッと息を吐きました。サカキの表情と言葉から、恋愛としての意味での愛情ではないと察せられたからです。
しかし同時に、サカキが「男の子」を恋愛対象に見る人ではないと再確認し、少しだけ胸が苦しくなりました。

「それにしても……ふむ」

サカキは何やら思案するような仕草を見せると、トキヤの肩を抱き寄せ、耳元に唇を寄せました。
突然の行動に、トキヤは驚いて身を固くしてしまいます。

「君は、本当に分かりやすくて可愛いな」
「え……ええ!?」

トキヤは驚きました。
サカキの言葉の意味が理解できなかったのです。確かにサカキはトキヤに優しくしてくれます。でもそれは、トキヤが弟子として優秀だからで、決してそれ以外の意味はないはずです。
トキヤが混乱していることに気づいているのかいないのか、サカキは微笑みます。
その笑みはいつもと変わらない、優しげなものでした。

「君はとても優秀な生徒ですよ。これからも頑張りなさい」

サカキはそれだけ言うと、トキヤを解放しました。
トキヤはただ呆然と立ち尽くしています。サカキはその様子を楽しそうに見つめると、踵を返し、歩き去ってしまいました。
トキヤはハッとすると、その背中に一礼し自室へと向かいました。
登って来た階段を今度は駆け下りながら、トキヤは誰ともすれ違いませんように、と願いました。
なぜなら、燃えるように熱い頬が、きっと真っ赤に染まっているだろうから。

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