辺境の街の夜に:二人

暗闇に、少女の静かな寝息だけが聞こえる。
ぐずぐずと泣きながらヴィーに抱きついていた少女は、やっと眠れたようだった。
ヴィーはそっとベッドから抜け出すと、床に落としたままの上着を拾って身に纏っていく。
「……」
黙々と服を整える彼の表情はひどく冷たいものだった。その手を中空にかざすと、そこに淡く魔法の文様が浮かび消える。
(あの時、部屋の結界には反応が無かった。この街…いや、この地には魔法を阻害する何かあるのか?)
ふぅ、とため息をついて、ヴィーは窓際に近寄る。
(まあ、今は考えても仕方ないか。早々に立ち去ればいいことだ。それより問題は……)
カーテンの隙間から覗く月を見上げて、ヴィーは呟いた。
「あーあ、嫌だな。あいつら全員殺したら、ユウは悲しむんだろうな」
ヴィーはユウの髪をひと房掬うと、それに口付けを落とした。
「でも僕のユウを傷つけたんだもの。殺されても文句はないよね? ごめんね。君は優しい子だから、きっと泣くだろうね。それでも僕は、君を害するものを許したくない」
ヴィーの瞳の奥に、昏い光が灯る。
ヴィーはユウを愛している。
しかし同時に、ヴィーにとってユウは全てだった。
ユウが傷つくことは、彼にとって耐え難い苦痛なのだ。
ユウのためなら、彼は人を殺すことも厭わない。
そして、もしもユウが彼を手放すようなことがあれば、その時は。
ヴィーはユウを守る。例え何を犠牲にしようとも。
それが、今の彼にできる全てなのである。

そうして青年の姿は、闇の中に掻き消えた。


ここはどこだろうか。目を覚ましたユウがまず感じたのは、それだった。
ぼんやりとした頭のまま身体を起こす。
見覚えのない部屋だが、おそらく宿の一室だろうと推測できた。ユウが眠っていたのは、ヴィーと一緒に泊まっている客室のベッドだ。実は、宿は昨晩ヴィーが彼女が眠っている間に変えてしまっていた。
野蛮な襲撃者を許す宿など、安心して泊まっていられないからだ。だからユウがその宿に見覚えがないのも致し方のないことだった。ちなみに、宿屋の主人は特に抵抗なくヴィー達の退室と返金を受け入れた。きっと彼なりに思うことがあったのだろう。
「おはよう、ユウ」
バスルームに続くドアからヴィーが顔を出す。その手には湯で蒸したタオルが乗せられている。
「さぁ顔を拭いて、朝食にしようか」
「ん、ありがとー」
それを受け取り、ノロノロと顔を拭くユウ。タオルの奥からぷぃーーっとユウの発する謎の声が漏れ聞こえて、朝食を用意しながらヴィーは思わず吹き出した。
「あははっ! 本当に可愛いなあ、もう!」
「へへへ……」
釣られてユウも笑い、二人の朝は明るいものとなった。
そしてヴィーが「さあ食べよう」とユウをテーブルに着かせる。彼女の前には数種類のパンとミルクたっぷりのカフェオレ。どうやら朝早くに買って来てくれていたらしい。ユウは一番手前にあったクロワッサンを頬張る。
「昨日来たばかりだけど、食べたら早々にこの街を出るよ」
食事をするユウを眺め、自分はブラックのコーヒーを一口飲んでからそう切り出すヴィー。
「……ねえ、昨日のあの二人って」
ユウが問おうとしたのを、ヴィーは人差し指で彼女の唇をツンと突いて止めさせた。
「それ以上はだめ、内緒。良い子だから、聞かないでくれ」
「……わかった」
「うん、良い子だね。ありがとう。全部僕に任せておけば大丈夫だからね」
ヴィーは微笑み、ユウの頭を撫でた。
ユウはその笑顔におずおずと頷き、あとは無言でパンを頬張った。


その後、商店で急ぎ消耗品を買い揃えたヴィーとユウは、昼を過ぎる前にその街を離れた。
結局、ユウは自分を襲った者たちがどうなったのか、そしてどうしてその街に女の姿がないのか、何も知らないままとなった。
彼女は非力だ、それを彼女は嫌という程知っている。
それでも、ユウはヴィーと共に居たかった。
ヴィーの隣なら、どんなに怖くても、辛くても、寂しくても、ユウは決して一人にはならない。
ユウにとって、それが全てだった。

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